少々私見と偏見の強い話をするが、辛抱強く聞いてくれ。私はマンガが好きである。
まず前提として言いたいのは「マンガとは全てにおいてフィクションである」ということだ。
じゃないと恐ろしくて読むことなんてできない。
かめはめ波は出ないし、霊丸は打てないし、アバンストラッシュもメドローアも出ないし、スポーツや競技の世界なんて、おおよそ凡庸なものなのだ。(たまに「マンガの世界から来ました?」みたいな選手も出てくるが、それは後の偉人になるであろうから別とする)
私は生まれてすぐに近くにマンガもゲームもあった生粋のオタクである。
お小遣いはほとんどそれらに費やした。
無名なマンガだろうが、無名なゲームだろうが、自分が面白いと思えば面白いと思い、雑誌をスクラップして学校で友人に布教した。
(そのおかげか、私の周囲でのみギャグ王が流行り、無人島物語と牧場物語が面白いと絶賛されていた。20年以上前の話である。)
それはともかく好きなマンガである。
私はマンガは全てにおいてフィクションだ、と言った。
それは歴史漫画でも同じことで、どんな偉人が出るマンガで、どれだけ史実考証されていても、それはあくまでも「実際に起ったことではない」と思っている。
たとえ、考証に使われたのが偉人本人が残した日記であろうとだ。
事実はその時代、その瞬間に立ち会った人間じゃないとわからない。
だからマンガは誇張し、時にドラマチックに、時にファンタジーに描けるものなのだ、と私は思っている。
たとえば七つの大罪。
私はバンとエレインが好きだ。
後の円卓の騎士、ランスロットの両親だ。
そう、これは『アーサー王物語』の前日譚として描かれたマンガである。
だが、内容はどうだろうか。
正史に残されたアーサー王伝説では、もちろんバンは盗賊ではない。エレインも妖精ではない。別の作品になるが、アーサーだって女性ではないのである。
たとえば進撃の巨人。
いわずもがなのファンタジーマンガであるが、地図を見れば世界地図である。
アズマビトとはおそらく日本人であるし、立体機動装置も聞けば理系の知人に実用可能かを聞き、綿密に設定されている。だが、絶対にフィクションである。だって巨人なんていないし。
たとえばハチミツとクローバー。
あんなに純粋に螺旋のように繋がる片思いをする若者がいると思うか?
そもそも、序盤あれだけ保護者として接していた実の従兄弟が唐突に恋心だったと告白すると思うか?(あれは完全な蛇足であったと思う。はぐを竹本とも森田ともくっつけない為の落とし所なのだろう、と無理矢理納得させている)
たとえば無限の住人。
これは歴史モノ、いや時代劇だと思われるが、(実際の時の将軍様の名前も登場している)もちろん不死の人間などいるはずもない。腕は切られてもすぐにはくっつかないのだ。尸良さん曰く蟹じゃないんだからよ。
コナンではたった1年にも満たないのに何百人も殺人が起き、あっちこっちで爆発が起き、もうてんやわんやである。
という訳で、マンガに『史実』だの『現実』だのを持ち込むのはヤボなのだ。
そもそも、現実の歴史からして教科書は大嘘をついている。今では鎌倉幕府は1192年に作られていないと聞いて吹っ飛んだし、坂本龍馬の話をしないと聞いて「あんな面白い人を飛ばして歴史に興味を持たない子が現れたらどうすんの!」と心配になった。
閑話休題。
で、現在私がハマっているマンガに『チ。―地球の運動について―』というマンガがある。
15世紀を舞台にした、地動説を巡る知と血のぶつかり合いを描いたマンガだ。
15世紀だ地動説だ、と書くとなんだかものすごい賢そうなマンガのイメージを持たれるかもしれないが、別にそんなことはない。「人生チョロい」とか「なんかすごいのですごいです」みたいなセリフも飛び出す、軽い雰囲気のマンガである。
このマンガには発刊済みの4集現在、コペルニクスはもちろん、ガリレオも出ない。まぁ、時代的にガリレオはまだ生まれていないかもしれない。
それはともかく、「P」という国、「C」という宗教が強い力を持っていた時代に、「地動説」を証明しようとする異端な人物たちと、それを裁く異端審問官を描いたマンガである。
このマンガで重要なことは、「もしかしたら歴史上、そんなことがあったのかもしれないなぁ」、と思わせるところであり、それに説得力を持たせる上手さと、展開の面白さだ。
少し史実の話をしよう。
実際のところカトリックにおける地動説ってどうだったの、というところだ。
私はそこまで厳しい弾圧はされていなかったのではないのか、と思う。
少なくとも作中行われるような過激な拷問は行われていないだろう。
作中に出てくる拷問道具にしたって、「こんなの使っちゃうよ? 使われたらどうなるかわかるよね? 痛いに決まってるよね? さあしゃべろうね?」みたいな脅しの道具として使われていただけで、実際に使われていたという話はないとどこかで聞いた覚えがある。
(覚えがあるだけでソースはない。こういうところがダメなのよね)
ただ、事実としてあるのは、ガリレオが地動説を語り、宗教裁判にかけられた、という有名な『逸話』である。
魔女裁判という理不尽な裁判が行われていたという『逸話』である。
つまり、実際のカトリックも『そういうことを行っていたのではないか』という『逸話による説得力』だ。
もしも、この話を完全なフィクションとして語ろうとしよう。
まず、『地動説を語ると弾圧される国や宗教がある』、と説明しなくてはいけない。これはとても長くなるし、序盤でそんな説明をされると読者がだれてしまうだろう。
その点、「P王国」の「C教」と語れば、簡単に国名も宗教も連想できるし、上記した『逸話』を知っていれば、簡単にそれがどれほど『恐ろしい』ことか連想できるだろう。
(もちろん描写もしているが。)
『事実』は重要ではない。『誰もが知り得る逸話』が重要なのだ。
私は最近独自のファンタジー小説を書いているが、添削してもらったところ、このだらだらとした世界観説明を指摘され、「なるほどなぁ」と思い、書き直したので記憶に新しい。
その点、このマンガはとても『上手い』と思う。
そして、話の展開がとてもスピーディーだ。伏線回収もとても上手い。
それこそ、私が進撃の巨人にハマった時、「この先どうなるんだ……!」とページをめくる手が止まらなかった時のような感覚。
そういえば進撃の巨人は完全なファンタジーであるにも関わらず、よく1話であれだけのヒキを作ったものだ。それもこれも「何の成果も得られませんでした!」という名言と、突然主人公の母親が無慈悲に巨人に食い殺されるという理不尽がドラマを生み出しているのだろうが。
やはりヒキは大事なのだなぁ。
ここでざっと『チ。』のあらすじ。
第一の主人公ラファウは12歳で大学へ行けるという神童であり、ひょんなことから地動説を知り、託され、そして、異端審問官に目をつけられる。果たしてラファウの運命は。選択は。
第二の主人公、オクジーは代理決闘人をしている視力の良い、無学な男。生きているこの世界が汚いのだと、天国こそが美しいのだと教会で聞かされ、生に絶望している。
だが、同行していたグラスという先輩は火星の記録に生の意味を見出しており、完璧な円を描いていたそれが急に惑った事に絶望する。
ある時、彼らは仕事で『地動説を証明しようとして異端とされ、処刑される男』の連行の任を受け、死の間際に男に「それ」を託される。グラスも同様に、オクジーに託す。
バデーニという聖職者であり、研究者に「知」を届けろ、と。
オクジーは今まで殺してきた者は皆絶望した顔で死んでいったことを知っている。しかし、託した彼らが死にゆく時、満足そうな顔をしていた。
本当にこの星が最も汚れており、美しい星々から見下されているのか。それとも、この星もあの空の星と同様に、美しい星のひとつに過ぎないのか。
全ては「それ」、『地動説』が証明してくれる。
オクジーとバデーニは協力者を求めながら、秘密裏に研究を進めていく。
そして現れた協力者は、生涯を賭けて『天動説』を証明しようとするビャスト伯の元で働く、知的好奇心の強い少女ヨレンタ。女だから、と学ぶことを、研究すること制限されている少女。
着々と研究を進め、あと一歩のところまで来ているというのに、無慈悲にも異端審問官ノヴァクの足音はすぐそこに迫っていた。
そして、オクジーは選択する。自分の信仰を。
4集までのあらすじはこんな感じです。
このマンガ、主人公いっぱいいるなー、(ラファウ、オクジー、バデーニ、ヨレンタ、ノヴァク)と思っていたんですけど、違うんですね。
主人公は『地動説』。
あくまでも、登場人物はそれを彩るものでしかない。
それでも私はこの登場人物たちに魅了される。
あまりにも苛烈に『地動説』を証明しようとする存在たちに。それを否定する存在たちに。
とっくに証明されている地動説。
私達はそれを知っているのに、それを知ろうとする彼らに、否定する彼らに、何故こんなにも魅了されるのか。
それすら知的好奇心なのかもしれない。彼らの『未来』を知りたいという、禁断の箱、パンドラの箱を開けようとするときめきなのかもしれない。
この物語がどんな結末が待っているのか。
我々は『地動説』の答えを知っている。
けれど、この『チ。』という物語に出てくる彼らの未来は知らない。
だって、地動説は本当だけれど、この物語はフィクションなのだから。[0回]
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